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東京地方裁判所 昭和30年(ヨ)4785号 決定

申請人 今野一雄 外九二名

被申請人 日平伊讃美産業株式会社

主文

被申請人は申請人らそれぞれに対し別紙債権目録(イ)欄及び(ロ)欄記載の金員を仮に支払うこと。

申請人らその余の申請は却下する。

申請費用は五分しその一を申請人らの負担としその余を被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一、申請の趣旨

申請人らの主文第一項同旨の裁判、及び被申請人は申請人らそれぞれに対し別紙債権目録(ハ)欄記載の金員を昭和三十一年三月三十一日限り仮に支払うこと。との裁判を求め、別紙債権目録(イ)欄の金員についての右申請の容れられないときは予備的に右金員を昭和三十一年二月二十九日限り仮に支払うこと。との裁判を求める。

第二、当裁判所の判断の要旨

一、被申請人会社(以下単に会社ともいう)はその主たる事務所を肩書地に置き、「いさみ」号農業用石油軽発動機の製造工場を茨城県下館市小川一五〇〇番地に所有し、兵器及び機械器具の製造修理並びに仕入販売を目的とする会社であり、申請人らはいずれも会社従業員として右工場または右事務所に勤務していたものであり、申請人らを含む会社従業員により日平伊讃美産業労働組合(以下単に組合という)が組織されていたこと。昭和三十年十月末日会社は経営不振のため申請人らを含む九十三名の従業員を解雇したこと。右解雇に当り昭和三十年十月二十八日会社と組合との間で契約して、既に支払期の到来していた昭和三十年五月分までの未払賃金を昭和三十年十二月二十八日、昭和三十一年一月末日、同年二月末日限りの三回に分割払し、退職金は昭和三十年十月末日、同年十一月末日、同年十二月二十八日、昭和三十一年一月末日限りの四回に分割払し、餞別金として別紙(ハ)欄記載のとおりの金員を昭和三十一年三月末日限り支払うことなどを約したこと。会社は右各金員のうち、右未払賃金の一部である別紙債権目録(イ)欄の金員(昭和三十一年二月末日限り支払うことを約した部分)、退職金の一部である同(ロ)欄の金員(昭和三十一年一月末日限り支払うことを約した部分)及び右餞別金である同(ハ)欄の金員はいずれも現在未払であること。

以上の事実は当事者間に争いない。

二、未払賃金たる別紙債権目録(イ)欄の金員及び退職金の残額たる同(ロ)欄の金員の仮の支払を求める仮処分について。

(一)  右争いなき事実によれば退職金の残額である別紙債権目録(ロ)欄の金員が昭和三十一年一月末日当時既に支払期が到来し現に本案請求権の存すること明らかである。

(二)  次に未払賃金である別紙債権目録(イ)欄の金員につき考える。この金員については被申請人は解雇当時既に支払期が到来していたのを会社組合間の契約により昭和三十一年二月末日に延期されたと主張しそのような契約のなされたことは前述のとおり当事者間に争いない。

ところで一般に、個々の労働者が使用者に対して既に取得している賃金債権につきかくの如く使用者と労働組合との間の契約によつて支払期の延期その他の処分をなすことが可能であるかというに、個々の労働者が自らこの処分を特に労働組合に委任したという別段の授権があれば格別、そうでない限り労働組合はかゝる処分をなす権限を有しないと解するのが相当である。何故ならば、労働組合は本来労働者の労働条件等を維持改善することをその目的とし、その労働協約を締結する権限もこの目的の範囲内に限らるべきであるところ、労働者が労働契約にしたがつて就労した結果既に具体的に個々の労働者に帰属している賃金債権を処分するが如きは右目的の範囲に属しないこと勿論であるからである。そして、本件において、申請人らから組合に対して特別の授権がありこれに基いて会社組合間の右契約が締結されたという事実については主張も疎明もない。よつて、右契約は申請人らの権利義務にはなんら変動を及すに由なく、申請人らは会社組合間の右契約にも拘らず、未払賃金たる別紙(イ)欄の金員は既に支払期にあるものとして会社に対しこれが支払を請求する権利を有するといわねばならない。

なお、被申請人は右契約は労使双方の妥協に基く示談の成立であると主張し、或はまた未払賃金の分割支払につき譲歩を示した組合に対し会社が餞別金の支給及び失業保険無資格者に対する失業保険金同額の金員の支給を以つて応えた和解契約であると主張し、結局右契約が労働基準法第二十四条違反にあらずとの見解を表明するのであるが、当裁判所が右契約は申請人らの権利に変動を及ぼさないと判断した理由は前述のとおりであつて、右契約が労働基準法の右条項に違反するとの見解に基くのではない。そして、たとえ示談の成立であろうと和解契約であろうと、それが個々の労働者の既得の権利に関する処分である限り労働組合が使用者との間の契約により処分すること自体不可能なのであるから被申請人の右主張は理由がない。

また、被申請人は仮に右契約が無効であるならば既に申請人らに対し解雇予告手当退職金などの弁済として支払つた金員を未払賃金の弁済とすることにより申請人らの未払賃金債権は消滅すると主張するものの如くであるが、既に特定の債務の弁済として支払つた金員は、これを非債弁済であるとしてその返還債権と他の債務との相殺を主張するのならば格別単に一方的にこれを他の債務の弁済として主張することは理由がないこと論をまたずこの主張も採用の限りでない。

(三)  右のとおり別紙債権目録(イ)欄の金員及び同(ロ)欄の金員については本案請求権が存在する。而して、申請人らは賃金によつて生計を維持して来たものであり、しかも、さきに被申請人会社を解雇された労働者である以上、右未払賃金及び退職金の残額の支払を受けずにその本案裁判の確定を待つことは申請人らにとつて著しい損害といわねばならないから、右金員について仮に支払を求める仮処分申請は理由がある。

三、餞別金たる別紙債権目録(ハ)欄の金員の仮の支払を求める仮処分について、

申請人らは右金員について昭和三十一年三月三十一日限り仮に支払うことの仮処分を求めるのである。しかしながら、一般にかかる期限未到来の債権についてその期限の到来を見越して支払期日に仮に支払をなすことを命じる仮処分を申請することは特別の事情のない限り保全の必要を欠くものとしてこれを許容できぬものというべきところ、これを本件にみれば、申請人らは賃金で生計を維持すべき労働者で、しかも被申請人会社を解雇されたものであるから、もし右金員の支払が期日に遅れるにおいては損害を蒙ることが窮われないでもないが、一方、疏明によれば会社から申請人らに対する解雇予告手当、退職金及び未払賃金などの支払は、今日にいたるまで若干その期日に遅れることはあつても、ほぼ会社組合間において契約した期日に従つて支払われているを見れば、この餞別金についてもその支払期日における履行を必ずしも期待できないことはない上、本件仮処分決定により未払であつた賃金、退職金の一部もすべて仮に支払わるべきことを命ずる決定を得るのであるから、この餞別金の支払が若干でも遅れるにおいては申請人らの生計に重大な支障を生じ著しい損害を蒙るとは認め難く、結局右の特別の事情はないものといわねばならない。よつて右金員についての仮処分は保全の必要を欠くものとして却下を免れない。

四、右の次第で訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 西川美数 岩村弘雄 三好達)

(別紙省略)

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